ABOUTアサイゲルマニウムについて

誕生と開発の歴史

1.「着目」

鋭い予見ときびしい精神を持った稀有な研究者 浅井一彦博士は、第二次世界大戦直後、日本の復興のため、自身の専門であり、当時のエネルギー産業の中心であった石炭の技術開発に向けて(財)石炭綜合研究所を創立しました。
そして石炭中に工業的価値の高いゲルマニウムが含まれていることを文献等で知っていた浅井博士は、石炭の組織を分析するところから研究をスタートし、太古の植物からできている石炭にゲルマニウムがなぜ含まれているか、に着目しました。

石炭

2.「アサイゲルマニウムの合成」

浅井博士が石炭からのゲルマニウム抽出に成功したあと、まず二酸化ゲルマニウムの生理活性(放射線障害からの回復促進作用)について研究が進められました。しかし、無機である二酸化ゲルマニウムは体内に蓄積し、死亡するネズミが出るなどさまざまな障害を引き起こすことがわかりました。
更に健康に良いと伝承的にいわれている植物の研究から、良い働きをするゲルマニウムは体内では水に溶けやすい有機の姿であろうと推定しました。そこで博士は、安全性の高い水溶性の有機ゲルマニウムでなくてはならないと考え、無機ゲルマニウムを有機化する研究に取り組むことになりました。
研究に着手してから約15年がたった1967年、浅井博士と共同研究者及川浩理学博士らは、追い求めていた水溶性の有機ゲルマニウム「カルボキシ・エチル・ゲルマニウム三二酸化物」の合成に成功しました。そしてそれを「アサイゲルマニウム」と名づけたのです。

アサイゲルマニウムの合成

3.「研究と多様な生理作用」

アサイゲルマニウムが合成されてから、浅井博士と彼の後継者及び協力的な研究者らは、アサイゲルマニウムの生体にかかわる特性について研究活動を続け、免疫学的な作用を含むさまざまな作用を発見してきました。
多くの研究者により現在までに約200報に及ぶ学術論文が国内外で発表されています。
現在も博士の設立した株式会社浅井ゲルマニウム研究所では、最新の科学的知見に基づくアサイゲルマニウムの可能性を求めて、新たな研究への挑戦とその成果がもたらされています。

浅井ゲルマニウム研究所の函館研究所

4.アサイゲルマニウム(有機ゲルマニウム)の呼び方について

アサイゲルマニウムは長年の歴史の中で、呼び名が数種存在するようになりました。
それはさまざまな場所・機関でアサイゲルマニウムの作用が研究・発表され、世に認められていった証でもあります。
以下に記載する化合物はすべて、アサイゲルマニウムのことを示します。

β-Bis-carboxyethylgermanium sesquioxide

1967年日本化学会へ発表したときの化学名です。

Ge-132

(株)浅井ゲルマニウム研究所での開発番号であり、また、論文に掲載するときの略称です。
治験を届け出るときの治験成分記号でもあります。

2-carboxyethylgermanium sesquioxide

1970-80年代に使用していた化学名です。

poly-trans-[(2-carboxyethyl)germasesquioxane] (略記号:p.t-CEtGeO)

ポリ-トランス-[(2-カルボキシエチル) ゲルマセスキキサン]:1991年WHOにより決定された化学名で、アサイゲルマニウムの正式名称です。

レパゲルマニウム (repagermanium)

1991年WHOにより決定された一般的名称であり、また化粧品成分として記載するときの名称です。

ASAI GERMANIUM ASAI GERMANIUM
pagetop