2020.12.15
私たちの体はもちろん、生体、物質など、身の回りのすべてのものは元素でできています。近代以降、次々と発見されてきた元素の数々は、現在118個に達しています。そのひとつである「ゲルマニウム」の発見は予言されたものだったのです。
「元素」という考え方は極めて古くからありました。古代ギリシャの哲学者、エムペドクレスは、「物質は、火・水・空気・土の4つの元素で構成されている」とする四元素説を唱え、これはアリストテレスへと継承され、中世まで正しいとされていました。インドの四大(地・水・火・風)、中国の五行(木・火・土・金・水)も同じような考えでした。古代では科学も自然観に通ずるものがあったのでしょうか。
やがてルネッサンスから産業革命へと時代は移り、ヨーロッパに新しい物質感が芽生えた頃、17世紀イギリスの科学者ボイルや、18世紀フランスのラボアジェによって、それまでとは全く違う革命的な考え方、「元素とは、それ以上単純な物質に分解できないもの」と定義され、33種類の元素が示されました。炭素、硫黄、金、銀、銅、水銀、鉛、錫、鉄などはもとより、酸素、水素、窒素、リン、ヒ素、モリブデン、ニッケル、コバルトなどが初めて単一の元素から出来ているものと確認されたのです。この時には、今考えるとあり得ない光と熱も元素とされていました。
19世紀になると次々と新しい元素が発見され、元素の数は63に達していました。当時、ロシアのペテルブルク大学の教授だったメンデレーエフは、長くボサボサの髪と髭に鋭い青い眼という風貌や、独創的で知識豊富な講義が評判で、教室はいつも満員でした。彼は講義のために、化学を系統的にするには?とか、元素をどのように並べたら化学というものがより理解できるようになるか、などを常に考えていました。そして、一つ一つの元素の名前と特徴を書いたカードを作っておき、それを並べ替えては、元素の最も重要な性質に従った並べ方はないか、頭を悩ませるのでした。
1869年2月17日、朝食をとっていたメンデレーエフの頭に突然ひらめいたのが、「元素の重さ(原子量)の順に並べてみる」という考えでした。彼は早速カードを並べ、それを見比べていくうちに面白いことに気付きます。カードに書かれた元素の性質が周期的に変わっているのです。
さらに周期がうまく合うようにカードを並び替えていくと、同じ列に並ぶものは大変よく似た性質を持っていました。しかし、縦横隣同士の元素の性質が似通っているように並べようとすると、どうしても何ヶ所か空白にしなければなりません。彼はそこに未発見の元素があるのではないかと考え、それはいつしか確信に変わり、「未知の元素」のために席を空けておくことにしたのでした。
作った周期表の空席を見ているうちに、メンデレーエフはその未知の元素の性質を予言できるのではないかと考えました。ホウ素、アルミニウム及びケイ素の後に来ると思われる元素について、それぞれエカホウ素、エカアルミニウム、エカケイ素と呼ぶことにして、未知の元素を構成する原子の重さ、比重など、さまざまな性質をかなり詳しく予想したのです(エカ:サンスクリット語で「第一」の意)。
当時、元素を分類して整理しようと考える科学者は他にもいましたが、彼のように未知の元素の存在や性質を予言するのは空想の世界のことで、科学的ではないと考えられていました。ですから、メンデレーエフが発表した、元素の分類と未発見の元素の性質についての論文は全く注目されませんでした。
ところが、1875年、フランスで「ガリウム」という新しい元素が発見されると、メンデレーエフはこの元素がエカアルミニウムではないかと考え、新元素ガリウムが詳しく研究される前にその化学的性質の予想を発表しました。すると、その後、科学者たちが研究して得た結果はメンデレーエフの予言とよく一致していたのです。次いで1879年にはエカホウ素と予言した元素が「スカンジウム」として発見され、メンデレーエフの予言は見事に当たり、それが空想ではなく、科学的な推察であることが実証されたのでした。現在使われている周期律表はメンデレーエフが最初に作った周期表とは若干異なりますが、彼の周期表の考案という偉大な功績には変わりはないのです。
予言された3つの元素のうち、最後の一つが発見されないまま15年が経過した1886年、ドイツのヴィンクラーはアルジロダイトという銀鉱石を詳しく化学分析し、新元素を分離することに成功しました。ヴィンクラーはその新元素を、母国ドイツの古名であるゲルマニアにちなんで「ゲルマニウム」と名付けました。これがメンデレーエフが予言した元素の最後の一つ、「エカケイ素」の発見だったのです。こうしてゲルマニウムは新元素としてデビューし、ついにメンデレーエフの周期表の空席はなくなり、彼の周期表は正しいことが世界中に認められました。
この予言どおり発見されたゲルマニウムこそ、アサイゲルマニウムの生みの親、浅井一彦博士が出会った運命の元素です。浅井博士は第二次世界大戦前にドイツに渡り、ドイツ人のエリカ夫人と結婚、石炭産業との遭遇から石炭研究の道へ導かれ、それをきっかけに帰国後ゲルマニウムに着目し、試行錯誤の結果、誕生したのがアサイゲルマニウム(水溶性有機ゲルマニウム)です。浅井博士が創り出したアサイゲルマニウムの化学名を日本語で表わすと、『ポリ| トランス〔(2| カルボキシエチル)ゲルマニウム〕三・二・化合物』となります。ドイツで発見されたゲルマニウムの原子番号が「32」。浅井博士が、自身とゲルマニウムとの結びつきに偶然と必然性を感じたのも頷ける不思議な縁があるようです。